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ツバメとスクナヒコ・蛭子伝承と秦氏・始皇帝、日本芸能界の繋がり|Garden Dairy 2019年11月10日

2019年11月10日 月齢13(中潮)満月二日前

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出典:気象庁ホームページ 、こよみのページ

以前こんな記事を書きました。

第25回参院選のため吉本宮迫 京アニが隠蔽した加計学園問題?イシミカワ クサノオウの毒性や伝承|Garden Dairy 2019年7月20日

そしてこの記事で、クサノオウという植物が「燕」との関連が深いことについて書きましたが、ここではさらに「燕」について掘り下げていきます。

ツバメは別名「玄鳥」と言います。

誰もが知るツバメの、誰も知らない名前の由来って? 七十二候「玄鳥至(げんちょういたる)」

上のリンクでは色々と考察されていますが、私はここでツバメの「メ」は女性のことと結論します。

妖怪の名前に姑獲鳥(うぶめ)という存在もいますし、綾女という女性名も実在します。

姑獲鳥 [出典]境港市観光ガイド

上の写真の「姑獲鳥」という妖怪は、子供をさらう美しい女性としても描写され。羽衣伝説がミックスされた妖怪と言えると言われています。

そして、この話の起源は時代は晋の時代とのこと。

で、ツバメの周辺の伝承は、海の彼方からやってくるスクナヒコの伝承と奇形児の赤子「蛭子伝承」と混ざり合っているように思います。つまり、子供をさらい、奇形児が生まれるという話がごちゃごちゃにされたのが、これらツバメにまつわる伝承だと考えられるわけです。

〜以下こちらから引用〜

常世の国は少彦名命が渡っていったとされる国。そして少彦名は、海のかなたから流れ着き福をもたらすという蛭子(えびす・ひるこ)の福神伝承とも習合しています。岡山県総社市に「ひいご池」という湿地があり、そこにはツバメが入水したという伝承があるそうです。はっきりしたことはわかりませんが、少彦名が常世の国に渡ったといわれる中国地方の方言である、ということからも、「ひるこ」が変化したものではないのか、と推測できないでしょうか。

〜引用終わり〜

そして、驚くべきことに、井川遥などの「趙氏」の一族が、このツバメ伝承の子孫とされ、さらに、秦の始皇帝も同族の出自とされているようです。

〜以下こちらから引用〜

『史記』秦本紀によれば、帝顓頊の苗裔である女脩と言う者が玄鳥の卵を飲んで身ごもり、大業(中国語版)を生んだ。大業は少典の女の女華を妻とし、大費(費)を生んだ。費は禹の治水をよく助け、舜が禹に玄圭という赤黒い圭(四角錐のような玉)を賜ったとき、「私でなくよく費が助けてくれたのです。」と言上した。そこで舜は皁游(黒い旗)を賜った。その後もよく舜を助けた。舜は姚姓の女を与え妻とさせ、鳥獣を司らせた。鳥獣は皆順服した。この時費は嬴姓を授かった。

その子孫らは殷に仕え諸侯となり、周の穆王の頃、造父が馬をよく御するので寵幸された。造父は四疋の珍しい色の馬を献したり御者として乱が起こった地に馬を馳せ、乱を鎮めた。そこで穆王は趙城に造父を封じた。ここから造父の一族は趙氏となった。戦国の趙はこの子孫である。

また、それとは別系に非子という者がいた。非子の族も造父の功により趙氏を名乗っていた。この時、非子の異母弟、成が嫡嗣で、その母は西戎の女だった。周の孝王は馬をよく馴らし功のある非子を嫡嗣にしてやりたかったが、そうすれば戎がどう出るか分からない。そこで諸侯に付属する小国(これを附庸と言う。)、秦邑に封じた。非子は秦嬴と号した。その後その子孫、襄公の時になって周が犬戎に侵された。この時よく周を助け、爵位を賜った。これが始皇帝の家系の直系であるとする。

『史記索隠』によればこの大費は『尚書』や『漢書』にいう伯益と同一人物である。

〜引用終わり〜

井川遥の本名は趙秀恵と言われていますね。

koreans-before.jpg
井川遥(左)と米倉涼子(右)[出典] 真のジャーナリズムがここにある! 

世の中では「在日」と言っては騒いでいますが、在日が全て悪いわけでもなく、原住民が良い民だったわけでもなく、世界中どんな民族でも悪い人間はいるものです。

ヤクザが悪いのは、そもそもその文化自体が悪の原理の上に成り立っているのであって、貧困層やある特定の思想を幼少期から教えられれば、必然的にその道に足をふみいれることになることも、ある意味分かりきったことだと思います。

ということで、伝承の多くは、ある事実を「聞こえのいいように脚色する」という前提の上で調べていくと意外なことがわかった次第です。

そのほかにも、多くの王族が親類で結婚することが多く、中には奇形児も生まれている上に、戸籍上に残らない人が多くいるということも前提にありました。

https://twitter.com/tea_2019/status/1102161039615913984?s=20

このような「支配者の視点」で物事を見ると、本当に様々なことがわかるようになります。

ということで最後に、庶民が鳥を飼う習慣はわりと最近の文化だということ、モーツァルトの「魔笛」の登場人物の職業が「鳥を捕まえて売ること」だということを知った記事をご紹介します。

〜以下こちらから引用〜

◆飼育鳥と音楽との関わり
 古代ローマ以降、鳥は王侯貴族など支配者階層を中心に飼育され続けてきたが、近世になると鳥の飼育は庶民層へも深く浸透していく。15世紀以降、ウソ、サヨナキドリ、カナリアなど、さまざまな鳥が飼育された。
 自身も鳥を飼って慈しんだ音楽家も多い。
 だが、それを流行などと、簡単に決めつけることはできない。きっかけは、インスピレーション、あるいはちょっした耳への刺激を求めてのことだったかもしれないが、やがてそれは深い愛情へと変わり、自身がつくる音楽にも少なからぬ影響与えるようになったようだ。多くの音楽家が、愛鳥を失ったときに心に大きな傷を負っている事実もある。

 14世紀から15世紀に大西洋沖のカナリア諸島で発見され、ヨーロッパに持ち込まれたカナリアは、瞬く間に飼い鳥として定着し、品種改良も重ねられて、17世紀にはヨーロッパ各地でさかんに飼育されるようになる。
 日本の音楽教育において「音楽の父」とも称されるJ・S・バッハの友人にして、後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家テレマン(テーレマン)もまたカナリアを飼い、愛情を注いでいた人物の一人だった。

 そのカナリアがある日、ネコに襲われ、痛ましい死をとげる。その悲しみと哀悼の気持ちを、テレマンは器楽伴奏付きの声楽曲であるカンタータにした。タイトルは、そのままずばり『カナリア』。「芸術に熟達したカナリアのため葬送の音楽(名歌手カナリアへの葬送の曲)」と訳されることもあるこの曲は、『カナリア・カンタータ』とも呼ばれる。

 始まりの「ああ悲しいかな、私のカナリアが死んでしまった」というアリアからすでに、彼の胸の痛みと慟哭が感じられる。音楽だけのファンからはよく理解できないという評も聞こえてくるが、自身の愛鳥を失った気持ちに決着をつけるために作品をつくってしまう衝動は、音楽に関わり、同時に動物を飼育する人間には、「あり」だと強く感じられる。

 1717年には、『小鳥愛好家の楽しみ(The Bird Fancyer’s Delight)』と題される楽譜がロンドンで出版されている。
 ヨーロッパにおいては、古くはシェイクスピア以前から、リコーダーを使って飼っている小鳥に曲を教える楽しみが存在していたが、この楽譜は、小鳥がさえずる音域を意識して、その鳥が覚えやすい曲をどうやって教えたらいいのか伝える教本として書かれたもの。スズメ、オウム、ホシムクドリ、ヒバリ、カナリア、ウソなどに向けた曲が、そこは収録されていた。
 掲載された曲のすべてが、挙げられた鳥の学びにおいて適正なものだったか疑問も示されているが、少なくともウソとカナリアについては、よい教本になっていたようである。
 このようにこの時代のヨーロッパには、「ともに暮らす鳥とともに音楽を楽しむ文化」も存在していたのである。

『小鳥愛好家の楽しみ』

◆モーツァルト宅のホシムクドリ

 音楽家はよく、王や貴族の城や屋敷に招かれて演奏をした。
 そこで鳥を見たり、直接接したことで、同じように鳥を飼育したいと願うようになることもあったのだろう。

 そんな音楽家たちに鳥を供給したのは、町の鳥屋や鳥も扱うペットショップであり、店に鳥を卸したのは鳥を捕獲する専門職である「鳥刺し」だった。鳥刺しは、日本でもヨーロッパでも、古くから職業として確立されていたことがわかっている。
 なお、ヨーロッパの鳥刺しは、ただ捕まえた鳥を売るだけでなく、捕獲した幼鳥を人間に懐かせるように育て、さらに音楽教育を施してから売るケースもあった。そうした付加価値をつけることで、非常に高く売ることができたらしい。

 大衆歌劇の作品としてモーツァルトが作曲した『魔笛』の中心人物であり、道化的な役割も果たすパパゲーノは、鳥刺しを生業にした者として描かれる。また彼は、笛を使って、鳥に音楽を教えることも行っていた。
 さらに、パパゲーノは『魔笛』の中、全身に羽毛を纏った「鳥装」で登場する。それは、鳥への近さの強調と解釈される。同時に、パパゲーノには音楽的な才能に恵まれていたという設定もあった。鳥と暮らす人間の目で見ると、確かに演出された彼の性格や行動には、鳥に近いものも感じられ、そこに意外な親近感も湧いてくる。

パパゲーノ

 モーツァルトは、1784年の5月27日から3年と2カ月、1羽のホシムクドリと生活をともにしていた。それはちょうど、オペラ『フィガロの結婚』が誕生した時期と重なる。
 わずか1カ月前に作曲したばかりで、まだ一度も演奏されたことのないピアノ協奏曲の主題そっくりな歌をウィーン市街のペットショップにいたホシムクドリがさえずってみせたという奇縁から、モーツァルトはその鳥を引き取り、自宅に連れ帰ったのだ。

 ホシムクドリは日本でも見られるムクドリの仲間だが、声はずっといい。また、同じくムクドリ科のキュウカンチョウがそうするように、ヒナから育てると人間の言葉をおぼえ、人間のつくった音楽を音程確かにさえずることもできる。
 古代ローマにおいて、ユリウス・カエサルをはじめ、少なからぬ人間がホシムクドリを飼って言葉を教えていたと記す史料もある。
 ときに十万羽を超える群れをつくることもあるホシムクドリは、ヨーロッパ人にとって、サヨナキドリなどと並ぶよく見かける種で、きわめて身近な鳥でもあった。

 飼われたホシムクドリは、充実期のモーツァルトの傍らにあって、文字どおり愛玩された。だが、自宅での生活と音楽活動のすべてを見ていたはずのその鳥については情報が少なく、十分な注目もされてこなかった。
 この点に注目し、その謎を解き明かそうとしたのがアメリカのナチュラリストにして作家のライアンダ・リン・ハウプトである。その慧眼による分析が、『モーツァルトのムクドリ』(青土社)という書籍にまとめられている。

 このホシムクドリは、モーツァルトの精神生活にも少なからぬ影響を与えたようだ。この鳥が死んだ際には、友人たちを招いて葬儀を行い、そこで哀悼の詩も朗読している。
 ここに眠るいとしの道化――
 家族のように暮らし、ときに心の支えにもなっていたであろうホシムクドリに、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが捧げた詩の冒頭は、そんな言葉で始まっていた。

〜引用終わり〜

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