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スコットランドと聖路加病院と銀行家。修道院と錬金術とヤクザ④|Garden Dairy 2019年2月13日

前回の記事では、日本の源氏と北イタリアにルーツを持つ金融商人たちが同じルーツを持つのではないかと話しました。

イタリア金融商人と源氏と明治維新。修道院と錬金術とヤクザ③|Garden Dairy 2019年2月19日

イタリアの金融街「ロンバルディア」を一つのスタートとした金融ヤクザは西回りで明治時代に日本のある一族と結託しました。

それは「薩長土肥」と言われる、鹿児島県、熊本県、山口県と高知県などですが、つまりは彼ら「薩長土肥」は東回りで日本列島まで来た「中東をルーツに持つ一族」で、東インド会社の時代に、それまで主権を握れずにいた日本列島を、西回りで金融と貿易を発達させた西回りの「中東をルーツに持つ一族」とが協力して乗っ取ったということになります。

正確には北イタリアの金融商人の出自ははっきりしていませんが、つまりこれまでのことを強引にまとめるとこういうことになります。

医者=錬金術=科学者=聖職者=ヤクザ=商売人=詐欺師

これは明治期の医療を見るとわかりやすいのですが、現在、芸能人御用達の病院として知られる「聖路加病院」もまた、その初期には聖職者=宣教師が設立に関わっています。

〜以下こちらから引用〜

本院は1901年(明治34年)米国聖公会の宣教医師である
ルドルフ・トイスラー博士によって創設されました。

トイスラー博士は25歳で来日、診療所を開設し病院に発展させましたが、関東大震災でその建物は消失してしまいました。
しかし卓越したアイディアと実践力を駆使して再建に努力し、1933年(昭和8年)本格的な病院(その一部が現在の旧館)が再建され、1936年に財団法人聖路加国際メディカル・センターが設立されました。

太平洋戦争の戦火は免れましたが、 戦後、米軍病院として11年間接収され、その間は近隣の建物で診療を継続しました。
返還後も新しい知識技術を積極的に学び実践し、21世紀にむけて全人医療をめざす画期的な機能をもつ新病院(現在の本館)を建築し、1992年(平成4年)5月に移転しました。
創立以来の目標は、キリスト教精神の下に、患者との協働医療を行うことにあります。

〜引用終わり〜

このトイスラーより以前に、日本で西洋の医療文化を根付かせようとしていたのが、スコットランド一致長老教会の宣教医師ヘンリー・フォールズで、トイスラーのいとこが結婚したのがスコットランドに出自を持つアメリカ大統領でした。又してもスコットランドです。

で、以前触れましたが、キリスト教は「カトリック=ローマ帝国」の時に、嘘の教理が入りこんだままでした。

イタリア金融商人と源氏と明治維新。修道院と錬金術とヤクザ③|Garden Dairy 2019年2月19日

つまり、聖書が改ざんされたため、本来の聖書に書かれていることを読むことすらできず、当然ながら、首尾一貫した理論のある真実の「善悪」を誰もがわからない状態になっていたということでもあります。

そんな状態で病院経営をしているというのは、ある意味では、中世の商売人やヤクザがそうでるように、詐欺行為を働かざるを得ない状態になるということを意味します。

お金を稼ぐためならなんでもする、しなければならない、ということであり、十字軍がそうであったように、平然と略奪行為をすることを厭わないという考えが、そのDNAに刻み込まれていると言っても過言ではありません。

そして、そんな聖路加病院の衝撃の悪事が最近明らかになっています。宗教に疎い方には、とっつきにくいかもしれませんが、これまでに見てきた一族が息をするかのごとく「詐欺」を働くものだということを前提と見ることで、この世には「善良を装った悪魔」が確かに存在しているということに納得できると思います。

小林麻央の死は悪魔への生贄である。(悪の巨塔・日野原重明と市川海老蔵の深いつながり)

何よりも今回の記事を書くきっかけとなったのが、床屋が外科医のルーツだということを知ってからでした。

「聖職者の祈り」によって病気を治すという世の中だった中世以前のヨーロッパでは、庶民の間で「瀉血」や「浣腸」によって、血液や臓器の体内の悪いものを出す、というなんとも原始的な方法で、病に対処していたと言います。東方のイスラム圏の医療は錬金術師による研究が進んでいたことから発達していましたが、ヨーロッパの医療は低レベルだった。

そんな中、1000年頃から聖職者は「血」に触れてはいけないというキリスト教の決まりができたことから、マッサージ(整体)と散髪を行なっていた床屋が、聖職者が行なっていた「体に直接触って治療する」外科手術だけを請け負うようになります。

当然聖職者たちは、血以外のことに対する処置はしていたので、聖職者と床屋が一緒になって手術室で働いていた時期もあったことでしょう。

1094年に理容外科組合(Barber surgeon)ができ、

1462年に「外科手術の統制管理も床屋外科組合が行う」ということになりました。ここで、外科手術だけを専門としていた一群との間で争いが起きますが、

1493年に一応の解決。
1502年に外科医組合が成立。
1540年に床屋外科組合が成立
1745年に床屋組合と外科組合が「完全分離」
1800年にロンドン王立外科医師会が設立
1843年にイングランド王立外科医師会が設立

内科医は早い段階から免許制の専門職として高い地位を得ていたそうですが、外科医は長らく「師弟関係」を結ぶ、単なる民間の「職人職」でした。

これは、イギリスの医療界でドクターは「内科医」、ミスターは「外科医」のことを呼ぶ際に使うというところに残っています。

参考サイト:4)ミスター・ミセスの謎の答え : ぐだぐだ英国医療体験記。

第一回はこちら

祭り・興行と火薬と神農。修道院と錬金術とヤクザ①|Garden Dairy 2019年2月10日

〜以下こちらから引用〜

歴史

1308年に創設されたロンドン市内の床屋たちのギルドに起源する。床屋は外科医が職業として確立されるまで、外科的な治療を行っていた。中世ヨーロッパで外科的な医療を行っていたのは主に修道院であったが、聖職にあったため流血を伴う外科処置が行えず、出入りの床屋に補助をさせたのが始まりと言われている。エドワード4世の時代、1462年に外科手術が床屋ギルドの正式な業務と認められ、外科手術の統制も床屋たちが行うようになると、その枠外にいた外科手術のみを専門とする外科医たちと、外科手術を兼任する床屋たちの間で論争になり、1493年に外科医たちが床屋ギルドに加入できる協定が結ばれるまで続いた。

ヘンリー8世の時代、1540年に床屋ギルドは正式に床屋外科医組合として設立が許された。1745年に床屋の業務から外科処置を分離させ、外科医組合として独立した。1800年に勅許を得て、ロンドン王立外科医師会となった。1843年にはさらに勅許を得て、現在のイングランド王立外科医師会となった。

〜引用終わり〜

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