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中世ヨーロッパ医療と百姓。「たみ」という日本列島先住民。修道院と錬金術とヤクザ②|Garden Dairy 2019年2月4日

前回は、ヤクザとそのルーツが「神農」という中国の錬金術師のような人物だということを見ました。

祭り・興行と火薬と神農。修道院と錬金術とヤクザ①|Garden Dairy 2019年2月10日

ここからはその続きを見ていきます。

同じ頃、ヨーロッパの「科学」がどうなっていたのかというと、「錬金術」を禁止されていなかったイスラム文化の科学は大きく繁栄し、欧州科学より優位になっており、欧州科学は非常に遅れをとっていたと言われています。

例えば、血の流れが病気の原因と考えられていたために、体の血を抜くことで病気を治す「瀉血」や、臓器内の不純物を出す「浣腸」が当時のポピュラーな治療法だったようです。

〜以下こちらから引用〜

中世の欧米諸国では理容師は外科的処置を行う外科医、歯科医師でもあった。その頃医学は内科学主流とされていたため、怪我の処置や四肢の切断等に至るまで、理容師がこれを行っていた。

「瀉血(血抜き)」、吸角法、ヒル療法、浣腸、抜歯を行った。その為、彼らは「barber surgeon(理髪・外科医)」と呼ばれ、1094年に最初の組合を作った。

〜引用終わり〜

で、当時の欧州では当初、これらの医療行為を聖職者が行なっていましたが、ある時から「聖職者が血を扱うのは良くない」という決まりができ、彼らの代わりに「瀉血」など外科的な手術を行うようになったのが「理髪師=床屋」でした。

中世の欧州では体を直接触って治療する「外科手術」を行う人は「刃物」を使う人でもありましたが、外科専門組合と、外科兼床屋の組合、さらに、床屋兼マッサージ師という三つが存在していました。

当時の床屋は髪を切るだけの職業ではなく、温泉地などで整体などもしていたようで、徐々に「整体」を禁止され、現在の「髪を切るだけ」の床屋となっていったようです。

〜以下こちらから引用〜

元々、人の体に刃物を用いる床屋という職業は、簡単な整体術を同時に実施していたのである。ドイツ圏のスパ(温泉、冷泉)ではBaderという浴場付きの整体師がいてスパに療養にやってきた人たちにマッサージ、できもの、腫れ物の除去、浣腸、蛭吸いなどを行っていた。そのような伝統によって、専門の医師のいない中世において医療の一角を占めたと思われる。

〜引用終わり〜

美容師ではなく、床屋が着ている「白衣」は、お医者さんがきている「白衣」の短いバージョンというところにも、その名残が見られますし、有名なところでが、床屋の店先で回っているトリコロール(三色)の回転する看板も、このころの名残からきているものと言われています。

ちなみに、床屋が医者と同じだったということはにわかには信じがたいことかもしれませんが、バビロニアの法律書と言われる「ハンムラビ法典」の時代から、床屋は医者としての「くくり」に入っていました。

〜以下こちらから引用〜

ハンムラピ法典に,外科的治療の記載がみられるが、手術のための鎮痛は限られたものである。医者は医師・手術師・獣医・理髪師に区別されていた。医師の地位と手術の報酬を取り決めてある。

〜引用終わり〜

つまり、この「文化」を引き継いできたのがギリシャやエジプト、トルコなど中近東からイタリアあたりで、長らく錬金術とともに受け継がれてきた。そして、この錬金術を受け継いだ組織が「修道会」です。

修道院は「苦行」のように、世の中の俗的な生活から離れることで、「聖職者として高尚な生活をして、庶民の模範となる」という理念の組織でしたが、彼らは莫大な資産を持つ組織でもあり、今でいえば「コングロマリット」「総合総社」とも言えるものでした。

〜以下こちらから引用〜

経済力のある修道会はモールドボード・プラウなど、貧しい農民には手の届かない農業革命の技術を率先して取り入れることができた。

時とともに修道院は、修道士が自作するのではなく土地を貸し借地料を取る、水車や風車による製粉権で収入を得る、収奪した余剰食糧を商材に市場を運営する、蓄積した富で金融業を営むなど、清貧とは程遠いアグリビジネスへと変貌した

〜引用終わり〜

錬金術を受け継いだため、庭で栽培する植物を元にした薬の効用(ハーブ)などの研究などもしており、その中で「火薬」にも行き着いたというわけです。

火薬というと作るのが難しいかと思われがちですが、木炭と硝石と硫黄でできるものです。

木炭は木を燃やすことで、硫黄や硝石は「土壌、腐敗、微生物分解」などとともに得られるものです。

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原理的には簡単ですが、臭さや汚さが伴うものなので、よっぽどのことがなければ気づきませんし、やりたいと思わないものだったのではないでしょうか。

ここで話は戻って再びヤクザとなりますが、一説ではヤクザは、かつての武士でもあったようです。(引用文の「やし」は山師のことで、広く見てテキ屋(的屋)と同じ職業集団です)

〜以下こちらから引用〜

さて、和製FBIの原型を越前守は創案したのだが、この「やし」の分類に「暦売り、易者、飴屋」等に混じって、辻講釈や祭文語りまでが含まれていたから、「講釈師、見てきたような嘘をいい」で大岡越前は彼らの張り扇や四つ竹でも有名となり、立派にもされてしまったが、不思議な事に「歌舞伎」や「文楽」には現れてこないのである。

〜引用終わり〜

そして、的屋などをしていたのは全国の地域ごと、または全国を巡って商売をしていた「流浪の民」だったようですが、それは「百姓」ではなく「たみ」として区別されていたようです。

明治期にそれまでの住民票を整理したら、仏教帰依者がおよそ倍になった。つまり、住民票に登録されていない「たみ」という存在が、百姓と同じくらいに存在していた。

そして、その「たみ」は武士から落ちぶれ、炭焼きや漁師、きこり、石切りなどの職についていたようです。

そしてはっきりとはしませんが、豊臣秀吉がそうであったように、百姓の出身でも、権力者に気に入られることで、出世することは可能で、百姓の中でも能力のあるものは、苗字帯刀を許されていました。

私たちが現在当たり前に名乗っている「家族名と個人名」という名字ですが、これは、明治期までは「皇族」だけが使っていたもので、庶民は宮本武蔵がそうであるように、「地名=宮本村」の「呼び名=武蔵(たけぞう)」という仕組みでした。

どうやら「士農工商」の「農」の位には「百姓とたみ」が混在していたようで、「たみ」が先住民系の血族で、「百姓」が先住民より後に日本列島にやってきて、京都を中心にした皇族一族だったようです。

でつまりは、百姓の一部には武家や皇族などの下っ端として働くものがいて、彼らの中には権力者にとっての「なんでも屋」のような職業が与えらました。

諜報機関であれば「忍者」、将軍や大名のご機嫌取りとなれば「太鼓持ち」「御伽衆」「御供衆」などがあり、後者は、伝統芸能として現在につながり「落語」や「吉本興業」のルーツとも言われます。

忍者というと、忍者服を着ているイメージがありますが、素性をばれずに敵の情報を聞き出すのに、あのような服装をしているはずはありません。当然のことながら、町人と見分けの付かないような格好をしていたはずです。

任務によっては、生涯をかけてスパイであり続けることもあったはずですから、それこそ、「庄屋」といった地位で、活躍していたのかもしれませんし、各地方の大名家の「情勢」を知るためには、全国を行脚する「僧侶」や、「旅芸人」が、諜報員として活動していたようです。

で、スパイも落語やお笑いも共通するのは「口がうまい」ということです。何かの目的のために、相手をおだてたり、笑わせたり、相手を信用させたりということを当たり前のようにやります。

以下の記事に続きます。

イタリア金融商人と源氏と明治維新。修道院と錬金術とヤクザ③|Garden Dairy 2019年2月19日

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