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イタリア金融商人と源氏と明治維新。修道院と錬金術とヤクザ③|Garden Dairy 2019年2月10日

この記事は以下の記事の続きです。

中世ヨーロッパ医療と「百姓」と「たみ」という日本列島先住民。修道院と錬金術とヤクザ②|Garden Dairy 2019年2月13日

商売人は口が上手ければ、かなりの確率で上手くやれるものです。

これをいい方に利用すれば問題ありませんが、この能力は時に「詐欺」という行為になり、数々の問題を起こしてきたことでしょう。

で、このヤクザ=テキ屋たちと同じように商人で詐欺を働き、煙たがられていたのが、中世ヨーロッパの商人でした。

〜以下こちらから引用〜

ヴァイキングだけでなく、ザクセン人・デーン人・ヴェンド人(8~9世紀にドイツ東北部に住んでいたスラヴ人)たちはみな、その活動を略奪&海賊行為から始めた。

やがて交易がもはや暴力行為を伴わなくなると、それは「商人の詐欺・策略」と密接に結びついた。

商人≒詐欺師とされ「安い商品を売りさばくためには、不正な手段をものともしない人間」とみなされた

〜引用終わり〜

〜以下こちらから引用〜

【行商人】
 A.品物を仕入れて売る小売商人は、中世初期では肩身の狭い存在だった。人に嫌われて不審の目で見られ、都市の為政者はあらゆる手段を講じて管轄区域内での営業を禁じようとした
 B.中世盛期にもなると、人々はかなりの物を「篭に様々な商品を入れて町から町へと売り歩く」行商人から買った。これら行商は“軒下営業”と呼ばれて排撃されることが多かったが、理由は「彼らがとかく顧客を騙して秩序を乱した」ことにある
〈例〉ロンドン(1347年)では社会問題化し、市場で賑わうチープ通りから彼らを締め出すために、市民によって大きな委員会が設立された
★‘チープ’(安い)とは「物々交換,値段」を意味するアングロ=サクソン語だった。‘チープマン’‘チャップマン’は「市場で物を売る商人」であり、行商人を‘チープジャック’と呼ぶこともあった。さらに‘チッピング’は「売る」という意味を持った

〜引用終わり〜

そして、当時のヨーロッパで、この商人達と密接に関わっていたのが教皇でした。

〜以下こちらから引用〜

イタリア商人の北ヨーロッパに対する債権は、商品の形をとりシャンパーニュの大市などで取引をされた(債権売買)。イタリア商人は、教皇庁の財政とも結びつき、教会の収入を送金する金融業を行うようになる。

〜引用終わり〜

このイタリア商人が現在のNY「ウォール街」やロンドンシティの金融街「ロンバート街」を牛耳り、そのルーツがイタリア金融街「ロンバルディア」でした。

〜以下こちらから引用〜

その結果として起こった長期間の戦争のなかで,教皇は新しい同盟者,つまりロンバルディア同盟(Lombard League 北イタリア・ロンバルディア地方を中心とする都市同盟)を得た。

ロンパルディアの諸都市,特に,ミラノは,裕福な商業部市であった。(即ち)それらの都市は,当時,経済発展の最前線であり,それは,英国人にとって,「ロンバード街」 (注:北イタリアのロンバルディア地方の出身の商人が多くいたことからその名称がつけられた,ロンドンのシティにある金融街)という名前で祝される,一つの事実であった。皇帝は,封建主義に賛成したが,ブルジョア資本主義は既に封建主義に敵意を抱いていた。

カトリック教会は「高利貸し(高利でお金を貸すこと)」を禁じていたが,教皇も借り手の一人であり,北イタリアの銀行家たちの資本は役に立つとわかっていたので,神学上の厳しさは(彼らに対し)和らげられなければならなかった。

〜引用終わり〜

つまりここまでのことをまとめると、

  • 仏教・神道という国教の中で行われる「お祭りの屋台」
  • キリスト教という国教の中で行われる「蚤の市・大市(フリーマーケット)」

という二つの全く同じ原理の文化が、日本とヨーロッパで行われていたことになります。

で、ヤクザといえば、時に「暴力」によって物事を解決するということがありますが、「略奪集団」として知られていものに、海賊・ヴァイキングや十字軍があります。ヴァイキングは船に旗を掲げているときは、平和的に「交易」する、つまり商売をしていたようですが、旗を下ろした途端、その町を略奪することもありました。

十字軍は「カトリック=ローマ帝国」が隠していた本物の聖書と発表禁止にしていた科学書を見つけ、それが、宗教改革と近代科学へとつながっていく道筋を作ったことでも知られていますが、この十字軍と、彼らを資金的に援助していた投資家=商人の一群が、世界中で奴隷支配を繰り広げた「東インド会社」につながって行きました。

坂本龍馬たちを利用して「西洋文明」を導入させた、明治維新を成功させたのが、ジャーディン・マセソン商会やトーマス・グラバーでしたが、その源流は「東インド会社」でした。

彼ら、ジャーディンさんとマセソンさんは共にスコットランドが出身地で、つまりは、近代スコットランド(イギリス)の貿易商・銀行家は中世に遡ると北イタリアのミラノ、ヴェネツィアなどがある「ロンバルディア」にそのルーツがあるということになります。

坂本龍馬らの維新軍は最終的に北海道で勝利して明治維新を達成。その後、北海道でも強力に開拓が進みましたが、その時に農業分野で「御雇外国人」として呼ばれたのが、スコットランドをルーツに持つアメリカ人、エドウィン・ダンでした。

この時代の日本は西洋諸国に乗っ取られたと見えがちですが、ここまで書いてきたのはヨーロッパを経由してきたヤクザ軍団でしたが、中国の錬丹術、アラビアの科学者たちが、ヨーロッパ=西方面ではなく、東方面に行き、インド、モンゴルや中国、そして日本というルートを辿ったことも十分に考えられます。

源氏のルーツが朝鮮半島「百済」の武士集団「花郎集団」であったこと、そして、その「花郎集団」がインドのクシャトリア(上から二番目の騎士階級)をルーツに持ち、そのクシャトリアはバビロニアやメソポタミアにルーツを持つと言われていることから、同じ集団が日本列島に到達していて、何かしらの同質性を確認して協力したと考えることも十分に可能です。

スコットランドと聖路加病院と銀行家。修道院と錬金術とヤクザ④|Garden Dairy 2019年2月22日

〜以下こちらから引用〜

ちなみに青森県八戸市の新羅神社は素佐鳴尊(すさのおのみこと)と新羅三郎源義光命を主祭神とする。新羅は「しらぎ」ではなく「シンラ」とよみ、韓国語の「シルラ」からきており、それは「光り輝く」という意味があるという。

源氏武士団は新羅・花郎集団、インド・クシャトリア騎士団にさかのぼるのか
源氏はなぜ、新羅出身を匂わせるのか。源氏武士団はどこからきたのか。

ところで、インドの王侯士族のカースト(階級)、クシャトリアは、グプタ朝の騎士団として知られているが、もともとはアーリア人とチュルク人の混血であるヤードゥ人であるとされる。彼らはグプタ朝が、遊牧民エフタル人の侵入などによって、606年に滅亡したために、北に移動、満州で騎馬の技術に熟達し、それから朝鮮半島に入り、新羅の花郎軍団になったと考えられる。この花郎(ハラン)軍団のトップが源花と呼ばれ、源氏につながっていく。その兵士は郎徒といわれ、源氏の郎党につながっていく。

後にこの源花が、天皇から源姓を賜って、嵯峨源氏、清和源氏、村上源氏、宇多源氏になり、この過程で、源氏の新羅出身を隠して、天皇家と結び付ける、日本列島における最大級の系譜の偽造が起こったのである。インド・クシャトリア集団が新羅・花郎集団となり、花郎集団が源義家、義朝、頼朝など源氏の頭領の家系になった。他方、百済の亡命貴族によって立てられた平安王朝は、平氏を重用し、新羅系の源氏戦士団を圧迫、源氏は関東など東国へ移動した。

倭国の中央政府では藤原氏が全盛を極め、天皇家とも姻戚関係によって直接結び付いたのとは反対に、百済からの傭兵集団である平氏と新羅からの傭兵集団である源氏は、亡命王族、亡命貴族の増加によって、中央での活躍の場が狭められていた。源平両勢力は地方、東国へ下向して、検非違使(けびえし)や押領使(おうりょうし)や国府の官吏として、土着豪族の支持を得て、武人の棟梁となり、兵馬の権を握りはじめた。

亡命花郎集団は「蝦夷征伐」や「蝦夷経営」において、あるいは「平将門の乱」において「功績」を挙げて、佐竹氏、武田氏、足利氏、新田氏、宇都宮氏、小田氏など、坂東における源氏武士団を形成していくのである。

カッシート人がインドに進出してクシャトリアに転化したか

しかし、このインド・クシャトリア階級がどのようにして発生したのかを納得いくかたちで説明しているものはないように思われる。

筆者の考えはこうである。クシャトリアのクシャは、カッシュ人のカッシュ、カッシートのカッシからきていると思われ、カッシート王国がバビロニアで滅亡したときに、アラビア半島などを経由し、アーリア系やカルディア人などと混血し、インドのクル王国やコーサラ国やマガダ国へ亡命し、その王族や貴族や騎士としてクシャトリア集団に転化したのではないかと思われる。
カッシート王国時代、カッシート人はバビロニアに第三王朝を

国し、そこに馬と戦車をもたらし、王族と貴族と将軍などを構成していた。彼らは当初から騎馬軍団の要素を持ち合わせており、インドに進出してクシャトリアの騎士貴族階級を形成する素質は十分にあったのである。

鎌倉時代、室町時代、江戸時代と武家の政権を担ってきた源氏。通説では、第56代の清和天皇の皇子、貞純らに賜った姓だとされるが、すべてを清和に結び付けるための、あるいは渡来系であることを隠すための系図詐称の疑いが強い。源氏のルーツは新羅の花郎(ハラン)戦士団からインドのクシャトリア騎士団、さらにはメソポタミアのアーリア系カッシート騎士団にたどりつくというのが、著者の見解である。

〜引用終わり〜

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