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〈閲覧注意〉挨拶するアダンソンハエトリクモの発見・命名者がイルミナティである可能性

蜘蛛嫌いの方にはすみませんが、「巣を作らない室内の蜘蛛・アダンソンハエトリが挨拶してくれた。」と言う動画を作りました。(YouTubeのコメント欄にある通り、このクモの種類はアダンソンハエトリではなくマミジロハエトリだったようです。ご了承の上で記事をご覧ください。)

世の中には「蜘蛛」マニアがいて、木彫りの像を作ってしまう人までいるようです。驚きました。

https://twitter.com/muir_muir/status/810436788804206592

と言うことで、このアダンソンハエトリの命名者である。ミシェル・アダンソンがどういった人物なのかについて調べたことをまとめておきます。

命名者ミシェル・アダンソンとフランス東インド会社と能。

名称の「アダンソン」は、1826年にフランス人博物学者のミシェル・アダンソンに献名されたと言うことです。

献名とは、発見者が特定の誰かに敬意を表したりすると言う意味で、誰かの名前の一部をその生物や植物の名前にすると言う意味で、必ずしも発見者ではないよようです。

蜘蛛の名前を「献名」されたアダンソンさんがどんな方かと言うと

ウィキペディアから引用〜

ミシェル・アダンソン(Michel Adanson、1727年4月7日 – 1806年8月3日)は、フランスの博物学者である。4年あまりセネガルに滞在し、動植物の採集、研究を行った。著書『セネガルの自然誌』は貝類の研究の分野で高い評価を受けた。新しい植物分類の体系の着想を得て、『植物の緒科』を執筆したが、その手法は広まることはなかった。

〜引用終わり〜

アダンソンの父親は聖職者で、アダンソン自身はフランス東インド会社のセネガル経営に参加して、自然科学調査をしていた人物で、

出生地は、南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで、スコットランドを出自とする家に生まれたと言われます。

このエクス=アン=プロヴァンスは、ナポレオンの妹、ピカソ、チャーチルを始め、なんと日本の伝統芸能「能」とも深い関わりがある場所ということです。

ウィキペディアから引用〜

また、旧市街北西部の中世の要塞跡の近くにはボルゲーゼ王妃ことポーリーヌ・ボナパルト(ナポレオンの妹)やピカソ、ウィンストン・チャーチルなども訪れた、約34度の源泉を用いた温泉治療施設がある。

ポール・セザンヌのお膝元として、市内のゆかりの地を巡る観光ルートがある。彼の生家を起点としてルート上の市内の歩道に点在しているセザンヌ(Cézanne)のCの文字が施されたブロンズ製のタイルを順に追うことによって、15ヶ所のセザンヌゆかりの地を巡ることが出来る。

エクスと能
1994年、エクスの芸術学校構内に日本以外の国では唯一の総檜の能舞台が日本より移築され、前述のエクス=アン=プロヴァンス国際音楽祭の一環として、この舞台で移築に尽力した喜多流狩野丹秀一門の演能が行われている。

プロヴァンス地方のクリスマスに食べられる13のデザートの代表格である。1995年より毎年、エクス旧市街・マザラン地区にあるサン・ジャン・ド・マルト教会(マルタ騎士団の教会)でカリソンの祝福が行われている。

〜引用終わり〜

そしてこの「喜多流狩野丹秀一門」は徳川家からの庇護を受けて現在でもヨーロッパで演能をする一族です。

〜ウィキペディアから引用〜

流派の祖は徳川秀忠に庇護を得ていた喜多七太夫。

(中略)

武士気質で素朴かつ豪放な芸風で、豊臣時代から初世と交流のある福岡藩黒田家など、大名家の(津軽藩、仙台藩、水戸藩、彦根藩(井伊家)、紀州藩、広島藩、松山藩、熊本藩(細川家)等)にも採用された。

〜引用終わり〜

その子孫たちもフランスイタリアなどで能を演じており、さらに江戸時代。鎖国の中において唯一貿易をしていた会社が「東インド会社」でした。

こちらから引用〜

実際、徳川家康は鎖国をした後も、オランダの東インド会社とは交易をしています。この東インド会社はイギリスにもあって、一応、表向きはイギリスとオランダの東インド会社はそれぞれ別の会社ということになっていますが、同じ名前を冠しているということは、やはり根っこのところでは何か繋がりがあったはずです。

実際、徳川家康は、イギリス東インド会社ときわめて関係の強い中国(アヘン貿易をしていましたね)とも大々的に貿易していたようですし。

〜引用終わり〜

東インド会社と能と徳川家が繋がり、彼らが今でも文化活動をする南フランスのエクス=アン=プロヴァンスの出自であるアダンソンが、セネガル研究をし博物学で有名な人物である。

こういったことがわかってきました。

次に、フランス東インド会社を見ていきます。

東インド会社と因幡の白兎とクナト神=オオクニヌシ

フランス東インド会社を始めたのは、ジャン・バティスト・コルベールという人物です。

このコルベールと言う人は、ラシャと言う商人の家系の人物だと言いいます。

ウィキペディアから引用〜

1619年、ランスに、スコットランド系の家柄と伝えられるラシャ商人の家に生まれる。

〜引用終わり〜

しかも、またしてもスコットランド系の家系。では、ラシャとはなんなのでしょうか。

ウィキペディアから引用〜

ラシャ(ポルトガル語:raxa、「ラサ(産)の」の意。)とは、毛織物の一種。

(中略)

12世紀ころセルビアの首都ラサで産したため、この名称で呼ばれ、南蛮貿易により日本へ渡来した。

名称も当時のポルトガル語名称に由来する外来語であり、表記も音を漢字で表した「羅紗」を用いる場合もある。

〜引用終わり〜

そして、日本でこのラサ=羅紗を取り扱っているのが、日本毛織株式会社と言う企業です。

ウィキペディアから引用〜

日本毛織株式会社(にっぽんけおり)は、大阪府大阪市中央区に本社を置く毛織物メーカーである。1896年(明治29年)創業。「ニッケ」の略称・ブランド名で知られる。

(中略)

創業者の川西清兵衛により1896年(明治29年)に神戸で創業される。創業当初からラシャやモスリンの製造にかけて、国内随一の生産量を誇ったことでも知られており、現在でも毛織物では国内トップクラスの実績を持つ。また1980年代以降からは、不動産事業が主力となっている。

〜引用終わり〜

そして、この日本毛織株式会社の2代目総帥(社長)の川西龍三の出身地が鳥取県八頭町だといます。

この八頭町はオオクニヌシを案内した「因幡の白兎」伝説のある地域であり、瀬織津姫を祀る神社が多い地域です。

オオクニヌシは出雲系の神で、オオクニヌシが助けた白兎は月読命だと言われます。

ウィキペディアから引用〜

白兎は月読(つきよみの)尊(みこと)のご神体で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めたという。

〜引用終わり〜

古事記の記述のあらすじをまとめると、大国主の兄弟・八十神がワニにキズを負わされた白兎にウソの治癒方法を教え、白兎が泣いているところにオオクニヌシがやってきて、治療法を教えて治してあげる。というもの。

白兎は、八十神が恋い焦がれていた姫とは結ばれないと言い放ち、オオクニヌシに従うことを誓う。

というお話です。

この経緯がにより、オオクニヌシが他の兄弟を抑えて「国」を持つことができたと言われています。

八十神がどういった人物なのかはっきりしませんが、月派の支配領域だったところを、出雲族に明け渡したとも読み取れる話です。

中世セルビアの都市「ラサ」とトラキア人=ダキア人首長・ブレビスタ

さらにこの「ラサ」と名前については、セルビアにあった国家・ラシュカの首都の名前でもあると言うことです。

ウィキペディアから引用〜

中世セルビアに存在した国家ラシュカ(Raška)の初期の首都の一つ。ラシュカ=サンジャク (地名)現在のスタリ・ラス。

セルビアとモンテネグロの国境にまたがって広がる地域の名称。イスラム教徒、ボシュニャク人が多い地域として知られる。

知られている地域で最古の居住者はトラキア人であった。紀元1世紀、この地域はローマ帝国に征服され、6世紀から7世紀にかけてスラヴ人、セルビア人の部族が住むようになった。

〜引用終わり〜

そして、この地に古くから住み着いていたトラキア人は、その風習を見ると完全なる「ゾロアスター教」であることが見て取れます。

ウィキペディアから引用〜

トラキア人の奇習(火葬、一夫多妻、人身御供、子売りなど)について書かれている。またトラキアではディオニュソス信仰が盛んであったとされ、ディオニュソスはトラキアに由来するとの説もある。

有史以前については明確ではないが、ブルガリアで紀元前3千年頃の墓などが見つかっており、これが原トラキア人のものと見られる。彼らは新石器時代のヨーロッパ先住民族と青銅器時代初期の原インド・ヨーロッパ民族が融合した(あるいは後者が前者を征服したとの考えもある)民族と考えられる。

〜引用終わり〜

そして、このトラキア人は常々ケルト人と対立関係にあった民族として記述されており、現在のルーマニア人となる、ヴラフ人、ブルガリア人。ダキア人と同族だとも言われます。

これらの一族は、どれもケルト人に侵略され、ローマ帝国とも対立したという歴史があるそうです。

そして、その中にダキア人の王・ブレビスタという人物がいます。

ブレビスタが建てた国があり、その国は名前をサルミゼゲトゥサ(ラテン語: Sarmizegetusa)といい、古代ダキア人による軍事・宗教・政治上の最も重要な古代都市であったそうです。

しかもこの都市には以下のような「太陽の円盤」があります。

ファイル:Solar disc.JPG

[出典]

このサルミゼゲトゥサの上流階級の人たちは、水道管などを整備して、非常に高度な文明があったことがわかっています。

マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)と天皇家

天皇家とマルタ騎士団との関わりがあることは、ネット上では有名な話ですが、改めてここでもその繋がりを見ていきたいと思います。

まず、マルタ騎士団政庁が公式発行した記念金貨に「昭和天皇御誕生100周年記念金貨」と言うものがあります。

さらに、フランスのテンプル騎士団の財産を受け継いだ現在のマルタ騎士団の本部はバチカンに在り、マルタ騎士団(テンプル騎士団)とイエズス会・バチカンの繋がりもはっきりとします。

そもそもこのマルタ騎士団は、修道会や騎士などと言う名称がつけられていますが、お金が大好きな商人が始めた組織です。

ウィキペディアから引用〜

聖ヨハネ騎士団の歴史は1023年ごろ、アマルフィの商人がエルサレムの洗礼者ヨハネ修道院の跡に病院を兼ねた巡礼者宿泊所を設立したことに始まる。

〜引用終わり〜

アマルフィの商人が「保護と支援」と言う理念のもとに現在の病院のような形で巡礼者の宿泊施設=ホテルの経営を始めたことがその始まりだと言います。

前出の因幡の白兎を助けたと言う「オオクニヌシ」が、医療関係者から崇められていると言う歴史もあり、医療と商業と言うのは、この頃から当たる前にあったものだと言うことがわかりました。

青いバラを作ったサントリーは出雲族。彼らは「秦氏=ロスチャイルド」の作った「君が代」を忌み嫌っているようです。

イエズス会と天皇家がつながっている完全なる証拠は以下からご覧いただけます。

世界を支配しているのはイエズス会 (イルミナティ) であり、イエズス会のトップは天皇です。

13のデザートと13の意味。南仏の13デセール(13Dessert:13種類のクリスマスデザート)

エクス=アン=プロヴァンスの特産品のところを見ると「カリソン・デクス」と言うお菓子があります。

「アーモンドと砂糖漬けのメロンペーストを菱形に入れたもの」です。

ファイル:Calisson.jpg

[出典]

これはクリスマスに食べられる13のお菓子=デザートの一つだと言うことですが、この「カリソン・デクス」以外にも、南フランスでは、以下のデザートがクリスマスに食べられると言う風習があるそうです。

〜引用開始〜

そうして、大切にされてきたのが『南仏の13デセール(13Dessert:13種類のクリスマスデザート)』。これは、パリなどの北フランスにはない習慣です。

まずは、干しなつめ。これは、キリストが東方から来たということを示すもので、これをこのまま枝ごとアーモンドペーストでのマジパン細工の果物と並べたりもします。(ただ、干しなつめといえば、一般的に知られているのは、黄緑・白・ピンクのアーモンドペーストをそれぞれ中に詰めて、銀色のアラガンなどで飾りつけたフリュイ・デギゼ。これだけは、13デセールとは関係なく、フランスの各家庭でみかけるものです。)

干しぶどう。干しいちじく、干し杏、など。

白ぶどう

くるみ。もしくは、アーモンド、へーゼルナッツなどの木の実。

カリソン。上の写真、上段右側のキャッツアイ型で白いお砂糖コーティングされているお菓子。もともとは、エクサンプロヴァンス名物です。

パット・ド・コアン。カリンペーストゼリー。フルーツのペースト色々盛り合わせは量産品も。上の写真の下段左の正方形のものは、洋菓子店で量り売りしてもらったもの。切り分けます。

黒ヌガー、白ヌガー。細長いバー状で自分で切って食べるように売られていることが多いんですが、我が家では、こんな風にひと口サイズの個別パッケージのものを。ケータリングもしている老舗から出ています。上の写真、上段左上のもの。
そして、下の写真のように、マルシェなどでは、大きな塊からの量り売りも。

フリュイ・コンフィ。果物の砂糖漬けで色々な種類があって、量り売りしているので、お好みで少しずつ選ぶことができます。

お店によっては、こんな風に盛り付けたお皿ごとで用意されているものも。自宅用として買って帰ればそのまま並べるだけでいいし、この時季の贈り物にしても喜ばれる一品。

クレモンティンヌ。日本のみかんに近いサイズ味わいの種類のオレンジなんですが、コルシカ産の葉つきのものがより濃い味わい。とても美味しくて、この時季よく口にします。その他にも、洋ナシ、リンゴ、冬メロンなどを添えることも。12月になると、たいていの家庭で常備されていて、どこも皮をむいたあとのいい香りに包まれています(つまり、皆よく食べているんです)。

オランジェット。(オレンジピールの砂糖がけそのまま、または、チョコレートコーティングしたもの)

それから、粉菓子として、家庭でも作れるオレイエットという揚げ菓子、または、マルセイユ発祥で南仏名物の焼き菓子ナヴェットなども。マルセイユの老舗は少し不便な場所だったんですが、ドックと呼ばれる港湾の新開発地区に旧い建物を改造したモールが出来ていて、そこに売店タイプの新店舗が出来て、便利になりました。この老舗については、追ってまた。カトリックの信仰心厚い人たちに愛されていて、年に1度、健康と幸せを祈る日には何万本も売れることでも知られています。

そして、上に書いたポンプ・ア・ルイル。これも、もうすでにあちこちのパン屋さんや洋菓子店の店頭に並んでいますし、日持ちのするものなんですが、我が家では、ビュッシュのケーキと一緒に予約しておいて、イヴ当日に焼き上がったものを受け取ります。大きさもお値段も、そして、お味も店それぞれ。

ちなみに、パリの夫の実家では、13デセールの習慣はないし、このポンプ・ア・ルイルも、私たちが持っていくまで誰も知りませんでした。代わりに迎えてくれるのは、干しなつめや杏のフリュイ・デギゼとトリュフ(チョコレート)やナッツのチョコレート。どちらも、義理の母の手作り。

一見、北と南で大きな違いがあるものの、素材に共通点がありますよね。南仏の方が大地の恵みの種類の多い分、並ぶ種類が豊富になったんでしょうか。ようく見てみると、名産農産物・栄養価の高いものがずらりと揃っています。13という数字に込められた信仰心、神への感謝の心だけでなく、3日間食べ続けるという習慣が根付いた背景には、滋養を摂って健康をという願いが込められてたのかもしれませんね。

〜ここまで「南仏の13デセール(13Dessert:13種類のクリスマスデザート)」から引用〜

なぜこのデザートが「13」と言う数になったのかはわかりませんが、13は世界各地で不吉な数字としても知られています。

元々はイエスキリストと12弟子=13という神聖な数ということも言えるはずですが、「不吉な数字」という洗脳をしたかったのかもしれません。

アルファベットの十三番目が、フリーメイソンの頭文字「M」。これはハンドサインの「コルナ」を表します。

人類実験国家であるアメリカの最初の州の数も「13」

古代エジプトで「13」はフクロウを意味しており、日本の国会議事堂を始め、イルミナティのシンボルとして多くのところ見られます。

さらにイルミナティ13血族も「13」。

さらにフィボナッチ数列においては、七番目の数字が「13」になります。

「7」は神の数として知られているものです。

さらにドルイド教=アトランティスのことを考慮すると以下のことも気になります。

ケルト人が伝承していた北欧神話で「13」という数字は、「13」番目に晩餐にやってきたロキを象徴する数で「裏切り・見えないところからの支配」を象徴しているように思います。

そして、彼らドルイド教が利用していた「60進法」というものがあり・・・

こちらから引用〜

古代より暦の必要性から時間や方位などに六十進法が使われており、中でも60の約数の一つである12はそれらを構成する基準の数として、12か月や12時間、12方位などのようにしばしば用いられてきた。

 生活に広く根付いた基数の12に対し、12より一つ多く素数である13は、その調和を乱すものとして不吉な数と考えられた。

〜引用終わり〜

このことを見ると、「13」という数字が、ドルイド教由来のものであることは明らかです。

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