エデンメディアが紹介していた動画がそのきっかけでした。
そこで巨木があったということを知り、巨木(リンボク、ロボクなど)について調べていたところ、それが、現在でいう木ではなく、草に近いものだというところから、さらに気になり調べるようになりました。
そこから、巨人がいたという話と合致していき、数万年前に人類がいたという話と繋がり、それらのことについて調べていくこととなりました。
この動画の真意はどうであれ、過去に巨人がいたということや、今よりも巨大な植物や生物が存在していたことは、ほぼ間違いのないことだと言えます。
ここでは、まず今ある常識のいくつかを捨てなければいけません。
それは、猿から人間になったという進化論と地層が下に行けばいくほど(深くなればなるほど)年代が古くなる。というという地層年代測定方法。
という点です。
その上で、今回は、デビルスタワーをヒントに、古代に確かに存在した「今の人間には想像できない文明」があったことを探っていきます。
東尋坊や根室車石などの柱状節理は嘘か本当か
〜以下こちらから引用〜
「柱状節理」とは、溶岩が固まって冷えるときに
体積が小さくなるためにできる規則的な割れ目のこ
とである。マグマに均等に収縮力が働くと、正六角
形になる。
水を抜いた田んぼにできる亀裂も同じ原
理でできる。マグマの冷却面に対して、垂直に形成
されるため、柱状になる。これに対して、冷却面は一般に板状を呈する。
〜引用終わり〜
以上が「柱状節理」という現象の説明です。
簡単に言えば「溶岩が冷えて固まる時に六角形ができる」といいます。
田んぼにできた亀裂も柱状節理だということが、堂々と書かれていますが、これはどう考えても無理があります。
引用した実験資料でも、柱状節理を作ろうとして、結果的に「張っていた水が乾いた田んぼの亀裂」を奇しくも再現することになっています。
デビルスタワーの柱状節理が、冷却面に対し、溶岩が順次冷やされていき「柱状になる」と言われていますが、その場合、溶岩が上から垂れてこなければいけません。
おそらく冷やされていたのは、地表付近のはずですから、その場合、上空から溶岩が垂れてこなければなりないということになります。
ということから、この柱状節理が、デビルズタワーや東尋坊などの成り立ちとして説明されることが、とんでもないインチキだということがわかっていただけたのではないかと思います。
さらに、元の動画でもウユニ塩湖の例として言及していますが「張っていた水が乾いた田んぼの亀裂になった」場合、その形は六角形にはなっていまん。
これもまたデビルスタワーが溶岩や火山などとは関係ないことがはっきりとしたのではないでしょうか。
ちなみに、柱状節理には様々な仮説がでているようですが、どれも決定的なものは出てきていません。それは、反対から言えば、その仮説は全て「火山や溶岩」がありきで考えているからどんな仮説を出してもだめなのでしょう。
「火山」ということから離れない限り真実は見えてこないということです。
さらに、それらしい画像を作って、載せているサイトがありますが、これも、出来上がるまでの経緯が全くないことから、正しいとはいえません。
その上、海外のサイトかと思いきや、ホームページのアドレスが「.jp」だというところも何かとても怪しいです。
では、あの六角形がどのようにできるのかと考えた時、もともと自然界にあるもので、ミツバチの巣の形と氷の形が思い浮かびました。
まず、ミツバチの巣の場合そもそも空洞ということからもほとんど比較にはなりませんが、ここで重要なことは巣の穴の形が六角形でなければいけない理由が「蜂の巣が円形(球形)であること」によって決まっているということです。
〜以下こちらから引用〜
ここでミツバチが考えるのは、ムダなく効率的なスペースを持つ空間の作りかたです。彼らはあるひとつの面積に対して、ありとあらゆる、さまざまな図形を描いてみることにします。
すると、その面積に対してもっとも外周が短い(図形を作るための素材が最も少なくて済む)のは円であることがわかりました。しかし、すぐに問題が発覚します。
正三角形と正四角形、正六角形という、隙間なく敷きつめることができる3つの図形では、外周の長さが等しい場合、その面積は正六角形が最も大きくなります。
つまり、最も少ない量の蜜蝋で、最も多くのハチミツを保存できる巣を作るには、正六角形が最も適していたというわけです。
〜引用終わり〜
六角形になる必要があるのは、蜂の巣の元々の形が「円形(正確には球形)」であることから、その中を最も効率的に使うために、六角形が最適だという原理がありました。
なので、デビルスタワーにも、もともと、そのものの一番外側の形状が「円形」であったものが、その後、あの形になったという仮説が立てられます。
それが、幹や茎のように円筒の可能性もあるということです。
次に、氷が六角形の結晶を作ることについてです。
〜以下こちらから引用〜
氷の結晶が見事な幾何学模様を描くのは、水が凍る時に膨張するという現象から生じるものだ。まずは水滴が、空中の微小な粒子にくっついて氷となる。そうしてできた結晶に水分子がさらに付着しながら、6方向に向かって広がっていくのだ。
氷の結晶は同じものが2つとしてないが、その形は周囲の環境と湿度によって決まっている。
〜引用終わり〜
氷が六角形を形作る際には「水が凍る時に膨張する現象」が関わっているとのこと。
ここからは、デビルスタワーにも「水があり、それが冷やされて膨張した可能性」が見えてきました。
ということで、円形の外壁だったこと、と、水が関与していることから、すぐに思い浮かぶのが「草」だということです。
ちなみに、草と木の明確な違いというのは、説明が難しいとされているようですが、ここでは、古代に存在した「リンボク」などの古代樹のことを中心にお話ししています。
これらは、現在の分類では「草」に似ている植物でした。
しかし、その当時は酸素濃度が多いことから、ほとんどの生物が現在よりはるかに巨大化していたと言われています。
おそらく人間も巨大であったと言えます。
そして、当時の植物は重力に勝つために「リグニン」を初めて獲得しました。
リグニンとは、石炭の元と言われる物質です。そして、当たり前かもしれませんが、炭素系の物質です。
ウイスキーの甘い香りの元はリグニンとも言われてます。
当時は、そのリグニンを分解する微生物が存在しなかったために、寿命を終えた植物は地表に蓄えられ、それが現在の石炭になりました。
〜以下こちらから引用〜
石炭は古代の植物が土を被って酸素が遮断された状態で地熱によって加熱された事で炭化したものとされている。
〜引用終わり〜
〜以下こちらから引用〜
シルル紀後期にリグニンを有した植物が登場した。歴史上上陸した植物が立ち上がるためにはセルロース、ヘミセルロースを固めるためのリグニンが必要であった。
リグニンを分解できる微生物がその当時はいなかったので植物は腐りにくいまま地表に蓄えられていった。これが石炭の由来となる。
石炭紀に石炭になった植物はフウインボク、リンボク、ロボクなどであり、大量の植物が腐らないまま積み重なり、良質の無煙炭となった。石炭紀以降も石炭が生成されたが時代を下るに従って生成される石炭の量も質も低下することとなった
〜引用終わり〜
現在の地球にはリグニンを分解する微生物「白色腐朽菌」などが存在することから木や草が地表に蓄積されても、石炭にはなることはありません。
〜以下こちらから引用〜
担子菌類が発展したのは白亜紀(1億4500万年前~6600万年前)以降で、マツ科やブナ科などの樹木が繁栄を始めてからである。
〜引用終わり〜
とここまで、巨大な樹木があった頃の様子を、デビルスタワーを元にみて来ました。
そして、現在、私たちが頻繁に利用し、石油やガソリンなどの元となる石炭の生成が、これらの地中に埋まっても微生物によって分解されなかった植物たちが残したものだと言われています。
そして、その石炭が生成された地層が以下の年代のものだと言われています。
- 石炭紀
- 二畳紀(ペルム紀)
- 三畳紀
- ジュラ紀
- 白亜紀古第三紀
- 新生代第三紀
常識に従って言えばおよそ3億年前から2千万年前の時代区分となります。
しかし、それだけの埋蔵量の石炭があるといことは、リンボクやロボクなどの、石炭になる植物が一斉に地中に埋まったということが可能性として大きくなって来ます。
以下からは、洪水がこれら大量の石炭を地中に閉じ込めた要因であるという仮定のもと、その時の、植物以外の生物について推論していきます。
三葉虫と人間と恐竜が共存していたカンブリア紀という大きな時代区分
〜以下こちらから引用〜
進化論では、現在の地層は少しずつ長い年月をかけて堆積されたと考え、下の地層が上の地層より古いと考えますが、地層をつらぬいた木の化石の存在で、そのことは誤りであるということが分かります。
最近の調べで現在の地層は大洪水前の地面の上に、大洪水により一気に堆積したものであることが分かってきています。今、多くの科学者たちがそのことを指摘し始めています。
まず化石がこの世に存在することがその突然の堆積の証拠といえます。例えば犬が死んだとしてそのまま放置されても化石にはなりません。それは腐敗し、分解され、土になります。
では、死んだ犬を土中に埋葬するとどうでしょうか。それは土中で腐り、分解され、土になってしまいます。ではどうなると化石になるのでしょうか?化石になるには”一挙に積み重なった地層の中に動植物がすばやく埋まり、そののち安定した高圧力下に置かれること”が必要なのです。
化石があるということは、地層が何十億年かけてゆっくり堆積したのではなく、一挙に堆積したことを示しているのです。一挙に堆積してその後高圧力がかかる現象を説明してくれるのは、大洪水以外あまりありません。
(中略)
また進化論者は地層をいく層にも分け、三葉虫や二枚貝などの化石が急に出てくる地層をカンブリア紀と呼び、生命が初めて発生した時期と考えていました。そして、それより下の地層になんの生物の化石も出てこないことを驚いていました。それは当然です。
カンブリア紀というものはもともと存在しないからです。
カンブリア紀の地層には人間や恐竜の化石も多数発見されています。カンブリア紀の地層は大洪水の地層であるということが判明してきています。
カンブリアの下の地層はふつうにゆっくり堆積したものです。当然化石はありませんし、ゆっくり堆積したものなので、隆起や褶曲といったデコボコがあります。
そのため、カンブリアの地層とその下の地層の境は必ずデコボコが見られます。カンブリア紀より上の地層は水平に堆積しています。その水平な層はすべて大洪水のときに急激に堆積した層なのです。
大洪水の地層と大洪水以前の地層との間だけデコボコがみられるというわけなのです。これは全世界に渡って見られるものです。井尻正二、湊正雄共著の「地球の歴史」にはこう記されています。
「世界各地のカンブリア紀層をみると、カンブリア紀層は、はげしく変質したり、あるいは褶曲したりしている原生代層の上に、ほとんど水平に横たわっていることが観察される。
・・カンブリア紀層と、それ以前の地層との関係は、世界中どこいっても、両者は不整合(デコボコ)であって、いまだかつて整合関係のところは知られていない。この事実は一体なにを意味するのであろうか」
〜引用終わり〜
ここで言われていることは
そもそもカンブリア紀の地層は約5億4200万年前から約4億8830万年前のことではなく「大洪水が起きた時代」だということです。
とにかく、全世界的に、カンブリア紀と言われる地層を界に、全く異なった地中の状態が確認されているということです。
<最下部の波打つ黒い地層がカンブリア層>出典はこちら
そして、これが何を意味するのかというと、
リンボクやロボクなどののちに石炭となる樹木を閉じ込めた時代でもある。
ということです。
さらに、その時代には、恐竜と人間と三葉虫とが共存していた可能性が濃厚です。
引用させていただいたサイト(リンク切れ確認2020/01/14)では、地層を貫く木片が発見されたことや、人間と恐竜、三葉虫の他にも、当時の人間が、心臓移植などの医療を施しているシーンなどが描かれた石版も発見されています。
そして、日本の与那国島の海底遺跡やエジプトのアレキサンドリア、インドのマハーバリプラム、マルタ島、台湾、カリブ海、などの海底遺跡なども、その頃の名残であることに言及しています。
ということで、ここでは、現在定説となっている、生物学的な進化論が崩壊するようなお話と、地層が深くなればなるほど時代が遡るという定説を真っ正面から取り壊し、
世界的な大洪水のようなものにより、その当時の化石や遺品がカンブリア紀と言われる地層に集中して発見されること、それが、少なくとも紀元前1400年前から、紀元前3000年前で、今からおよそ5500年前であることがわかって来ました。
最初の類人猿の化石が発見されたのが2500万年前、恐竜が絶滅したと言われているのが、6500万年前。
しかし、今回のことを考慮すると、恐竜も人も5500年前まで共存していきていたとも言えるわけです。
さらに、そこには、三葉虫もいて、巨木もあり、人類は高度な医療を持っていたし、恐竜を乗り回し、飼い慣らしていたのではないかということも言えてしまいます。
まさに映画「アバター」が実現している世界です。
その世界にも、巨木がそびえ立ち、今の人類より人間は少し大きいサイズでした。実際に、リンボク、ロボクなどが巨大だったのは、酸素濃度が高かったということなので、あり得ないことではないはずです。
というか、本当にあったことなのでしょう。
それをひた隠しにしなければならない事情を持った方々がいる。
たったそれだけの話なのではないでしょうか。
ちなみに、木綿(コットン)の栽培が少なくとも紀元前5000年、現在からおよそ7000年前に記録されていますし、ブラックナイト衛星は13000年前には飛んでいたと言われています。
ブラックナイト衛星は当時いた人類によって飛ばされたはずなので、この辺りも証拠もっと証拠が欲しいところです。
◯木綿
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